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みんなが一度は向き合ったことがある「ハードワークするか否か問題」

こんにちは。徳原です。今回は、ゴリゴリ体育会系上がりの私が「ハードワークの是非」という論点を取り上げたいと思います。

 イーロン・マスクは「成功したければ死ぬほど働け」と言っていますし、ラグビーWC日本代表監督のエディー・ジョーンズさんも「ハードワーク」という本を出版されています。

一方、Googleが打ち出す心理的安全性のようなキーワードや、コロナをきっかけとするリモートワークによるライフワークバランスの充実など、バランスを整える指向性の話もあり、だいたい誰もが「ハードワークか否か」といった論点には向き合ったことがあると思います。これについて、ハードという言葉が直接的に辛さを表現していて、本質からズレてしまっている気がするので、少し深ぼって考えていきます。

私自身は、大学ではアメリカンフットボール部に在籍していました。アメフト関係者であれば「あの大学はやばいよね」と口を揃えて言われる、少し特殊な環境でした。当然のようにハードな練習なので、毎日死にたくなるような気分で練習に言っていて、思い出すだけでも少し気分が暗くなります(笑)ただ、私の大学時代のハードさには2つの側面がありました。肉体的なハードさと精神的なハードさです。肉体的なハードさは字の如くです。

精神的なハードさは、さらに「他者からの要請」に起因するものと「自己コントロール」に起因するものに分かれます。言うまでもなく、「肉体的なハードさ」と「他者要請に伴う精神的ハードさ」はとても辛いです。これが「ハードワークではなくゆったり自分の時間を持ちたい」という意思決定に傾く大きな要因ではないかと。もちろんその選択を否定する必要はありませんが、多くの人が「自己コントロールの精神的ハードさ」というものにもう少し向き合ってもいいのではないかと思います。

ハードワークを標榜する方の本を読んだり言説を見たりしても、よくよく注意して見ると、「肉体的ハードさ」「他者要請に伴う精神的ハードさ」ではなく、「自己コントロールの精神的ハードさ」を指し得ている場合がほとんどです。みんなで辛い練習を耐え抜くんだ!!という言説は、少年漫画を除いてほとんどありません。では「自己コントロールの精神的ハードさ」とは何でしょうか。ちょっと論理は飛躍するかもしれませんが、私はそれは「孤独と向き合う能力」だと思います。

「究極の鍛錬」という本があります。1万時間の法則というものを示した有名な本ですが、そこでは「著しい結果を残した人間は、その背景に“孤独に鍛錬した1万時間”が必ず存在する」ということが言われています。本質的な意味でのハードワークは、この「孤独な鍛錬」に耐える、ということだと思います。皆さんも経験があると思いますが、本当に好きなものに対して時間を忘れて一人で熱中した経験があると思います。これに意思の力を加えて長時間継続していくのが、この「孤独な鍛錬」の手法であり、ハードワークの本質だと思います。

 ということで、本当の意味でのハードワークは心身ともに疲弊しても頑張る、ということではなく孤独な鍛錬を続けることです。そう思ってみると、ハードワークしてみるチャレンジの対象も見つかるのではないでしょうか!?

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